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心に小さなスペースを

先日、冷たい風の吹くなか都内某霊園に。
昨年に亡くなった友人の墓前に手を合わせる。

最初に訃報を聞いてしばらくは
その衝撃の強さも手伝ってか
友人がそこに至った経緯を無意識のうちに
一般的な言葉で語ってしまっていた。
「職業は○○で、頭が良くて繊細なタイプで
 最近プライベートではこんな状況だったらしい」と。

誰かが聞いてもおおよその人物像がたどれるような
わかり易い言葉に置き換えることで
自分の中で折り合いを付けていたのだろうと思う。

友人らしいその墓石に和みながら
友人の顔を思い出しながら
自身の言葉に対して感じていた
違和感の意味が何となく分かった気がした。

簡単に言うと
具体的な死は具体的にしか引き受けられない。
ということなのだと思う。

友人と過ごした時間を思い出したり
持っていた1本のペンを握ってみたり
描いた絵と言葉を読みなおしたり
友人に対して自分ができなかったことを思ったり
機会をみつけては友人に会いに行ったり
つまり
自分の中に友人のための小さなスペースを持っておく
そのことに意味がある。

「一般」にも「普遍」にも逃げることはできない。
それが生者としての死者との付き合い方なのだと。
それが亡くなった友人に対する礼儀なのだと。


秋になったらまた友人に会いにいこう。
そう思った冬の日曜日。

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食の方法

普段から目標をたてないので
今年の目標とか、○歳の抱負とか
聞かれるといつも答えに窮してしまう。

今度そう聞かれたら
「歩きながら物を食べない」
そう答えよう、と
さっき空腹で歩いている時に思いついた。

時間がなかったり面倒だったりすると
つい移動時間に食べてしまう。
悪いクセだなぁと思いつつ。
でもさすがに歩きながらはよくないな、と。
何がよくないかは分からないけど。。。

「食べる」をもっと大事にしたいと思う。
人と住むようになって
「食べる」意味が重層的になってきた。
今までの自分の「食べる」感覚は
ずいぶんパーソナルだったみたい。

例えば
子供ができたりした時に
子供の前でしたい食べ方、
したくない食べ方がある。

食の場だけでなく
食の方法を共有する
という感覚は
結婚生活が自分にもたらした
贈り物かもしれない。


豆まきをして
夫婦生活2年生になりました。

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そらみみ2012 続


先日ハイサワーについて調べようと
「ハイサワー・マルナガ」と検索するも
ほとんどヒットせず。

調べていくうちに博水社という社名が。
「えっ?博水社?」
聞いたことがない社名だ。

「…ハイサワーって…マルナガって会社じゃなかった?」
と疑問に思ってツレに確認したところ

「わ・る・な・ら・ハイサワー♪」
という昔からのCMを自分が
「ま・る・な・が・ハイサワー♪」と
聞き間違えていたことが発覚。

びっくりしました。
そらみみにも程があるってもんだ。




どうも自分は音声情報に弱いようです。

「ネクスコ中日本」は「ネクスト中日本」
だと思っていたし。

「ルックまめぴか」は「拭くまめぴか」
だと思ってました。
だってCMでトイレ拭いてるじゃん!



いくつになっても新しい発見はあるものです。
大人になっても奇跡は起こるよ。

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そらみみ2012

気が付いたら年が明け
引越しも終わり
またひとつ歳をとってました。

それはそうと
JRの駅で「多機能トイレです」
と繰り返す構内放送がいつも
「滝のおトイレです」に聞こえるのは
自分だけでしょうか?

JRご利用の際には
ぜひ意識してみてください。

では
今年もよろしくお願い致します。

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いろいろあった今年の最後に

大晦日ですね。
今年は変化も多く忙しく過ごしました。

手放し、ではないにしろ
「いい年だった」と
実感を持って言える2011年でした。

自分の家族にも
自分の選んだ家族にも
側に居るいる友人にも
遠くに行った友人にも
仕事の声を掛けてくれる人にも

共同体の一員である多くの人に
感謝と祝福の言葉を。

「今年もありがとう」
「良いお年を」

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