ブログ

メイン | 一覧

仕事考2

内田樹さんの言葉の中に
仕事についての言葉を見つける。

仕事はやりたい事をやるんじゃなくて
それしかできない事をやるもんだ、と。
そんな趣旨の言葉でした。

あ、それそれ!
僕もそう思ってた!

と、そう思ったわけですが
別に僕が賢いわけでもなんでもなく…。

師の言葉と同時に弟子は理解する。
師の言葉を自分の中にあったかのように発見できる。
それが師弟という関係なのだと。

そんなことも
内田樹さんが言ってたのです。


話はそれたけど…仕事の話ですね。

自分の嫌いな事、嫌いな理由を言葉にする
それが大事なんだという言葉でした。

自分のやりたい事を探しているうちはまだ
仕事に対して感度が十分じゃないと僕は思ったわけで。
いかに他の事ができなくて今の仕事をやっているのかを
言葉にできるようになった時には
その仕事を一生やっていって間違いないような気がする。



…んーほんとかな。

でもまあ、
そんな気がした事をここに残しておけば
後から見返す事ができるからね。

便利ですよ、検索機能。

| コメント(0) | トラックバック(0) |

きみの背後に

今日、駅の階段で前を歩いていた女の子が
ずいぶんにひどい歩き方をしてたので
ふと他の人の歩き方も見回してみたのです。

で、改めて気付いたのが

階段を降りる時にその人の身体操作が見える、という事。



いや、もちろん平らな場所を歩くだけでも
電車の中で立ってるだけでも身体操作はでるんだけれど。

特に女の人がヒールを履いて階段を下りるのって
ものすごく身体に無理な運動をしているわけで。

たまたま今日見かけた女の子は
身体が可愛そうなくらい歩き方のバランスが悪かったのです。
ちゃんと腰に乗っかって歩いて欲しいなあ。


って、これは単なる僕の好みなんですが。



でもほんとに
どんなに美人でもオシャレでも露出度が高くても
歩き方が下手な人ってグッとこない。


街を歩いてる方々、
特にヒールを履いた女の子、

後ろから見られていますよ…  僕に。

| コメント(0) | トラックバック(0) |

こたえのないまま

ふと思ったのです。

ウェブサイト開設を色んな知り合いにお知らせしているので
一応、読んでいる人がいる事を想定して
「ですます調」でブログを書いてみてもいいんじゃないか、と。

ま、どっちでもいいんですが。


んー
mixiで日記を書いてた頃(遥か昔の気がするね)にも
何で日記なんか書くんだろうって思った事あるのです。
誰に向かって書いてんだろう、とか。

結局、その時の疑問に結論を出さないまま
自分の覚書的な意味合いでブログを初めてみたけれど…。

読んでくれる人がいる事を思うと
もう少し丁寧に書こうかとも思ったり。
思わなかったり。

誰かブログをやってる人がいたら聞かせて下さいな。
何に向かって発信しているのかを。


考えてみたら僕がこのブログで必ずしも
「日記」を書く必要はないわけで。
毎日マンガを描くってのもアリだし。
毎日コントのネタを書くのもアリなんです。
(書かないけどね)

じゃあ何で自分は日記を書いたり
仮説を書いたり覚書を書いたりするのかな。
と。

多分、書く事で整理したり
書く事でより考えたり
そういう事のために書いてるのかな。

って、今思いつきました。

あ、いや、
これだと書く事の意味は分かっても
それを発信する意味はわからないままか…。

| コメント(5) | トラックバック(0) |

地球と対話

高円寺でバスケ。

身体の調子が少しずつ戻ってきていて
久しぶりに身体が重力を感じていたなぁ。


自分が床を踏むとちゃんと床が応えてくれて
床からの力がボールにまで伝わってた感じ。

その感じを保てればいいんだけど…。
今日も中盤だけだったし。



スポーツは重力と仲良くないとうまくなれない。
というか全てのスポーツは
重力との対話という形をとらざるをえない。
地面と身体、身体と道具、道具と地面。
この三つの関係性が全てだと言っていい。

もちろんチームメイトや対戦相手もいるけれど
これも身体のうちに含まれる。
内田樹さんの言葉を借りれば「複素的身体」。
相手をも含めて一つの身体と考える。

いい身体感覚を持った人と対すると
自分のパフォーマンスも上がる。
その経験があれば「複素的身体」という言葉が
割にすんなり理解できる。



スポーツに限らず地球上の全てのものは
重力から逃れる事ができない以上
重力と対話し続けている事になる。

言い換えれば地球と対話し続けている事になる。



エコバッグもいいけど
まずは直接話せるところから地球と仲良くしないとなー。

と当たり前の事を、あらためて思った日でした。

それを教えてくれるバスケに感謝。

| コメント(2) | トラックバック(0) |

オヤジギャグ考

「家庭でのオヤジギャグは5〜6回に1回くらいしかウケない」

…らしい。
ちょっと前に、ほぼ日で糸井重里さんが書いていた。
なんとなくそこから妄想が広がったのでここにメモを。


オヤジギャグは相手との関係性を確かめるための
メタメッセージとして機能している。

という仮説を立ててみる。

心的距離の近い人はオヤジギャグを斬る事ができる。
無視しても、「つまらない」と言っても大丈夫な関係だから。
だってオヤジギャグはつまらない事が前提なんだし。

というかむしろ、オヤジギャグを斬ることで
関係性の親密さを表現しているのかもしれない。

そう考えると糸井さんの言う「5〜6回に1回ウケる」の
「1回」は優しさや義理ではないし、
むしろ関係性の「他人」の部分だと解釈できる。
さほど面白くなくても笑った方がいいような関係。
それがオヤジギャグを笑う、という事の意味に思える。

夫婦や親子の間に少しの「他人」的な関係があるのも
なんだか素敵な感じがするのは自分だけかな。

そしてオヤジギャグを言う、というのは
相手との関係性を確かめようとする行為なのかもしれない。

常に誰かとの関係性を試していないと不安になるような
寂しがり屋の人がオヤジギャグを連発してしまうのでは…。


世の中のオヤジ達(ま、自分も含めてね)
オヤジギャグ連発はつまらないからダメなのではなくて
自分の寂しがり屋に気付けていないのがダメなのです。

大人になったら、たとえ寂しがり屋だったとしても
「あなたと仲良くなりたいのです」と言えるようになりたいな。

| コメント(0) | トラックバック(0) |

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38