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私の背後に

先日、人の歩き方を観察している話を書きました。
その続き。

今日の仮説は「普通の歩き方は気持ち悪く見える」です。

バランスの悪い歩き方をしている人を見ていて
「この人の歩き方はどこが良くないかなー」と考えてみる。

で、それを確かめるためにその歩き方を真似てみる。
まあ実際には真似ないんだけど。
身体を同調させてみて、デフォルメしてみる。
そのデフォルメした歩き方で歩いてみたつもりになる。

そうすると
「腕が開きすぎてアゴが前に出てるな」とか
「がに股になって体重移動がぎこちないな」とか
「力みすぎてるな」とか分かってくるんですね。


そんな風に「観察→デフォルメ」を繰り返してたら
はっと思いついたんです。

自分はまず「他人から見てデフォルメしづらい歩き方」をしてみようって。

特徴のない「普通」の歩き方。
重力を活用して、できるだけ筋力を使わない。
特定の軸に頼らない(ねじらない)。
上下の運動でリズム感を作らない(スススーって移動)。

とそんな感じを大事にしながら。


「極端に普通な歩き方」を実現できたら
多分かなり気持ち悪い動きに見えるんじゃないかなぁ。

人間ってある程度、他人の動きを予測しながら見てるから。
予測できない動きに出会うと気持ち悪く感じるんですね。
例えばマイケルジャクソンの動きが気持ち悪く見えたり。
あれは群を抜いて気持ち悪い。
身体の使い方に関しては本物の天才です。

普通の歩きかたを突き詰めてる人ってあまりいないから
それをやったら予測がつかない動きになるはず。

バスケでもそれに近い事が起きる。
相手に予測させない動きができれば早く動く必要さえない。
間合いを外せば簡単に抜ける(理屈から言えば)。


まずは普通で気持ち悪い歩き方から。
これは面白くなってきた。

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ちち はやお

ゲド戦記がテレビで放映されていたそうです。
テレビがないので僕は見てないけれど。

ジブリの代表的な作品はだいたい見てるけど
ゲド戦記はなんとなく見逃したまま…。
で、とあるブログで↓を読んで見たくなりました。

2年程前に話題になった記事だそうで。
書いてある事の真偽は分りませんが
なかなか面白い(というか笑っちゃった)ので紹介までに。

読みづらいし長いので気がむいたらどうぞ。

http://www.mokorin.net/blogdata/image/512kb_0624.jpg

http://www.mokorin.net/blogdata/image/512kb_0626.jpg
http://www.mokorin.net/blogdata/image/512kb_0627.jpg



ちなみに僕が知ったのはこちらのブログから。
http://ameblo.jp/punchgum/

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EDUの本棚

本屋で「おお、面白そうな本だ」と思って
手に取った本が既に読んだ事のある本だったりするので
せめて読んだ本のタイトルくらいは記録しておこうかと。

ブログに書いておけば検索だってできるじゃないか
と思いついたわけです。
便利な道具だわ。

ひとまずここ最近で読んだ本を。
そのうちに過去に読んだ本を遡って書いておきたいなぁ。




『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里

『邂逅の山』手塚宗求

『子どもは判ってくれない』内田樹


『街場の現代思想』内田樹

『街場の中国論』内田樹

『日本人の脳に主語はいらない』月本洋

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おとなになったら

友人と結婚の話になりました。
もうそんな歳ですな。

いやいや、歳は関係ないけど。


最近、結婚について考えたのは
結婚には向いている人とそうでない人といる、という事。

結婚は今までと違う共同体での生活を始める、という事です。
それを自分のパフォーマンスを落とすマイナス要因としてとらえる人は
結婚に向いていないと、そう思うわけで。

家族という共同体を形成する事が
自分のモチベーションを高めてくれたり
弱っている時には助けてくれるセーフティーネットになったり
全体として自分のパフォーマンスをあげてくれると感じられれば
結婚をする事に抵抗を感じないわけです。

共同体を形成するにあたって
いかに自分がマイナス要因を抱え込むかを強調する人は
おそらく共同体を形成した後もいかに自分が耐えているかを
強調し続ける事になってしまう気がするのです。

家族を持つ事は自分以外にも責任を持つ事です。
他人の分まで責任を負う。他人にも自分の責任を負ってもらう。
これを自分のパフォーマンスを落とす足かせ
と感じる傾向が強いのが今の時代なのかな。
誰かに対して責任を持つ事が「一人前」の証として感じられ
そのことでより自分のパフォーマンスが上がる、のが常識だった時代も
そう昔ではなかったように思うのです。

ま、単純に考えて
「よし、その事は何とかするから俺に任せてくれ。」って言える、
責任感を喜びと感じられる大人になりたいと思っているのです。
僕はね。

共同体の中の誰かの分まで責任を負う事ができる
それが「大人」と呼ばれる人なわけで。
「責任の所在を明らかにして然るべき対処を」
と声高に叫ぶのは「こども」のする事だと。

と、ここまでは受け売りの考え方を
自分なりの言葉に置き換えただけの文章です。
どうりで筋のとおった考え方だったでしょう?
安心して下さい。
以下は受け売りの文章をほぼそのままですので。

共同体を形成する事を自分のマイナス要因ととらえる傾向が強くなったのは
生活に隅々まで消費が染み付いた資本主義の影響もあるのかと思います。
共同体を解体して個が増えた方が経済は加速する。
4人家族にテレビが1台なのと4台なのを考えれば分かるかと。

個が際立てば共同体の他のメンバーは自己実現を阻む
マイナス要因としてカウントされるわけです。
テレビが1台しかない家では見たい番組があっても
見られない可能性だって十分にあるわけで。
家にテレビ1台が当たり前でチャンネル権は父親
と決まっていた時代はそれでもよかったけれど。


消費が浸透しすぎたせいで
共同体を形成するのが下手になった。
つまり結婚に向いている人は少なくなった。
これが僕の思うところです。

いつもの「仮説」ですね。

自己実現や自分らしさや自分探しや…そういうのもいいけれど
そう考える人の数が増えるとそれはそれで困るわけです。
こどもばっかりじゃ結婚もできやしねえ。

と、人のせいにするのもこどもですな。


長くなったので今日はここまで。

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芸術言語論

吉本高明 講演
『芸術言語論ー沈黙から芸術までー』


行ってきました。

吉本隆明さんについては簡単な本を数冊読んだ以外に
殆ど何も知らなかったのですが、「何かある」という根拠のない、
だけれど確信のある予感に導かれて近づいてみています。

講演では「知の巨人」に圧倒されてしまったなぁ。というのが実感。


まさに吉本さんの生み出した「自己表出の言語」
という言葉そのものを体現しているかのような講演。

迷ったり、どもったり、時には黙ったり
それでも思考を丁寧になぞろうとする言葉が聞けた事
それだけでも今日は行った甲斐がったのかもなぁ。


もうしばらくは僕の吉本熱が続きそうです。

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