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身体の内と外 管の入口と出口

ある状況が自分の記憶に小さくて濃い何かを残して過ぎ去って
ずいぶん経ってからふとその何かが心に湧いてくることがある。

一年前の今頃、自分は心の落ち着かない状況にあって
落ち着かない心でバタバタと複数の事をこなしていた。
そんな中で人に教えてもらった言葉が今になって
よみがえってこようとはその時は予想もしていなかった。

「排泄までも気持ちよく」というのがその言葉。
心と身体の調子を整えていく上で食べる事だけでなく
排泄までをも大切な事として捉える、という趣旨の言葉で
それを知った時には「なるほどなぁ」と
大事なヒントを得たように思ったのを覚えている。

それをあらためて思い出したきっかけは内田樹さんのブログ。
『密息と原腸』
http://blog.tatsuru.com/2008/11/04_1202.php


人はの身体は管である。とのこと。
管の中はまだ身体の外であると。

そういえば小学生のころ毎月届く「かがくのとも」の中に
『ぐにゃぐにゃ世界の入り口』みたいなタイトルの号があって
同じような事が書いてあった気がする。

どうも自分はいままで食べる事を勘違いしていたみたい。
食べたものって体内に入っていると思い込んでいた。
実際には消化されて分解されて血液とか細胞に入って初めて
体内に取り込んだ事になるわけで、胃や腸の中は身体の外にすぎない。

食事と排泄がどちらも快感だってのは経験から分かる。
でもなぜそれを気持ちよく感じる様に人間の身体ができているか
それについてはまだうまく説明はできない。
ただ「人間の身体が管である」ことと関係にありそうだという気はする。

管の入り口と出口。
それが食と排泄。

管を突き抜けることの快感…。

何か重要な問いの存在を予感させる言葉だな。
うむ。
楽しい。

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昨年実績比の疑問

会社勤めをしていて、いつも疑問に思う。

売上げ目標が必ず前年より多いのはなぜ?
なぜ目標が前年売上げと同じ金額ではいけないの?
言い換えると
「なぜ会社は右肩上がりのモデルしか描けないのか」
ということなのですが。

だって前年と同じ分だけ稼げば少なくとも食うに困る事はないはずなのに。
どういうわけか疑問を抱く事もなく成長を想定している。
この疑問を抱いてから数年…。
ちゃんと勉強もしていないのですっきりと解けるはずもなく
モヤモヤと抱え続けて、考え続けている。

友達との飲みの席なんかでは話題にしたことがあるけれど
納得のできる解釈を聞いた事は一度もない。
多いのは「人間の説明」で会社を解釈しようとする姿勢で
「人には給料が増えて欲しいという欲求があるから」とか
「家族が増えたら養わないといけないから」とか。
その考え方ってすごく現実的で言い当てているし実感がある。
とは思うけど本質的な部分を探るには物足りない気がする。
直感的に。

右肩上がりのモデルを経験してきているからこそ
給料は増えていくものだと欲求する。。
という解釈の方が自分は納得いく。

で、
自分が思うに会社が右肩上がりのモデルしか持っていないのは
「増殖し加速し続けるのが資本主義の性質だから」
なんじゃないかと。単純に。

って書いてみると当たり前みたいな話だな。
でも今のところ自分が納得できるのはそこまで。


人間が「増殖」に快感を覚えるのは確かだし
資本主義とか経済とかを知るのに「増殖」とか「贈与」とか「交換」とかが
重要なワードになってくるのも確かだから
「人間の説明」も核心的な部分には触れていると思う。
でも右肩上がりモデルの直接的な説明には使えない。
それは原因と結果ではない。

学生の時に友達から聞いて
意味が分らないのにずっと頭に残っていた言葉がある。
それが「因果関係ではなくて相関関係がある。」というもの。
最近少しずつその意味が分かってきた。


因果の説明がつくものを簡単に信用しなくなってきたなぁ。

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[ 映画 ]『ブタのいた教室』

先日、友人に誘われて映画に。

全然内容を知らないで行ったのだけれど
どうやらテレビでドキュメンタリーとして放映されたんだとか。
実話をもとにしたらしくなかなか面白い。

その名の通り教室でブタを飼う話。

実話としてみるとすごく興味深いのだけれど
映画としては「惜しい」感でいっぱい。
「えー!そんな終わり方?」みたいな残念感。
事実に忠実に描いたからだとは思うけれど…。

まあ何はともあれ見ないと分からない。

食育が話題になる昨今
飼っていたブタを食べるか食べないかを真剣に話し合う
小学生の姿はなかなか惹き付けられるものがある。
とても演技とは思えない白熱っぷりで、それもそのはず。
キャストの子供たちもどうやら実名で役をもらってるし
ストーリーの結末を知らされないで話し合っていたのだそうで。

肉を食べるってどういう事なのか。
人間と動物がどういう関係でいたらいいのか。
教育には何ができるのか、できないのか。
いくつかの興味深い問いに再度気づかせてくれる。

安全なものを食べるとか、命の大切さを学ぶ
みたいなとんちんかな話じゃなくてね。

ここで大事なのは答に気づく事ではなくて問いに気づく事。
ふと興味を持ってしまった人のための入門書の様な映画です。

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そこに線をひかなくても

アメリカ大統領選と併せて注目されているのが
同性の結婚を認める法律の是非を問う国民投票なのだそうで。

マケインさんは法律を認めない立場で
オバマさんは法律を認める立場。
ざっくり言うとそうなっているみたい。
自分は法律の事も政治の事もあまり詳しくないので
それについては何も意見はないのですが。

僕が感じるのはなんでそれを国民投票するんだろう?ってこと。
性同一性障害の問題って法律とか政治があんまり深入りしない方が
結局のところ一番スムーズにいく。ってのが自分の仮説です。

ただそんな気がするってだけで確かな根拠はないけど…。


最近では性同一性障害が前より世の中に認知されてきた。
でも実は同性の性交渉は「性同一性障害」という
社会的に正しい言葉がうまれるずっと前からあって
オカマだったりオナベだったり別の呼び方だったり、
もっと以前にはオカマともオナベとも呼ばれてなかったりしたわけで。

社会的に正しい言葉が浸透して性同一性障害の人達が
実際に暮らしやすくなっているのだから
それは結果としてよかったと思うけれど。

でもそれを制度として確立させようとする動きには
自分はやっぱり違和感を覚えてしまうのです。


かつては性の境界が現代より曖昧だったんじゃないかなぁ。
戦国武将は戦場に少年を連れていたっていうし、
大島渚 監督の映画『御法度』では新撰組内の同性愛が描かれている。

つまり近代以前には(上の例で言うと少なくとも日本では)
必ずしも性の間に線をひく事に積極的でなかった気がする。
きっとそれは明確に線を引かない方が事がスムーズに進んだり
全体としてはパフォーマンスが上るということを
当事者も周りも感覚的に分かっていたからじゃないかと思うのです。

そういう意味では今の自分達が知っている「生物学的な男女」とは違った
もっとダイナミックな性的関係があったのかもしれないなぁと。

政治とか制度とかのレベルでは線を引かないでおいた方が
いいことって実際にあるんですよ。たぶん。


でもまあ
新宿二町目に飲みに行ったらこんな理屈っぽい事なんて
なんも役にもたたないし興味もあまりなくなるのが不思議です…。

寒くなる前にまた夜間飛行に行きたいなぁ。

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かみの工作カフェ 青山店

かみの工作カフェ 青山店 の店頭に立ってきました。

店頭とは言ってもそこはさすがに折形デザイン研究所のギャラリー。
柔らかくてしっとりとした佇まい。
かすかな緊張感とまったりとした雰囲気なのです。

紙の工作所の製品たちもどこか厳かに見えた様な…。



半日だけしかいられなかったけれど
友人知人が思った以上に来てくれて感謝しきり。
見に来てくれた方、ほんとうにありがとうございます。
見に来てくれたのに会えなかった方、すみません。


展示は明日11/3(月)までなのでこられない人もいるでしょう。
そんな人にも新作をちらりとお披露目しちゃいます。

白黒動物に続く動物シリーズは「DOGS」。
その名の通り今回は犬がモチーフです。
できるだけ近いうちに製品化するつもりなので
その時にはぜひ手に取ってもらえればと思います。

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