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[映画] 歩いても歩いても

是枝裕和監督
『歩いても歩いても』を見る。

家族が夏の一日を過ごすだけのストーリーだけれど
その中に是枝監督の丁寧な視線がちゃんと織り込まれている。

たまたま自分が家族、親族について考えている事もあって
色々と感じて余計に面白く感じる。

阿部寛演じる良多が実家に連れて行く子連れの結婚相手ゆかり。
これを演じる夏川結衣がなかなか素敵。
お母さん役の樹木希林も文句なくいい。
映画を見るたびに女優さんに惹かれてしまう自分なのでした。


見た後にふと気付いたのは
夏川結衣演じるゆかりの気持ちに自分が共感していたってこと。

この映画のキャラクターの中で阿部寛演ずる良多が
自分に一番近いのでそこにシンクロするのはもちろんだけれど
どういうわけか自分とは全然違う状況のキャラクターに
部分的にではあれシンクロした事が気になる。

その事は一口には説明できなそうなので
おいおい考えていこうかと…。

で、シンクロについても考えているのだけれど
映画とかマンガとかのキャラクターにシンクロするのって
どういう時なんだろう、と。

ひとつ確かなのは
いい映画、いいマンガ、いい芝居、(いいフィクション)では
キャラクターの年齢とか性別とか状況とかと関係なく
リアルに感じる事ができるってこと。

僕が立てた仮説の一つは
「時間が割れているかどうか」がその分かれ目じゃないかと。
キャラクターの状況ではなくてキャラクターの中に流れる時間を
きちんと描けているかどうか。それが問題。

「時間を割る」というのは内田樹さんの言葉だけれど。
アニメで言うとコマ数が多いかどうか。
物理的には同じ時間でも人の得ている情報とか
操作する身体の文節が多いほど豊かになる。

キャラクターの身体や気持ちを描くのに
24コマ/1秒で描くのと12コマ/1秒で描くのとでは
明らかに違いがでてくる。
もちろんコマ数が多いからいいわけではなくて
描くキャラクターが12個の情報では描けない、
24個の別の絵を並べないと表現できない、
という状態まで想像できる事がいいフィクションを生む気がする。

でも
シンクロする事がそれと関係している根拠はないので
今のところ何とも言えないのだけれど
どこかで関係しているという根拠のない直感はある。

すごく夢中になって読めるのにストーリーはなかなか進まない
そんなマンガがたまにあるの。
ぼくはそれを時間が割れているせいだと勝手に解釈していて
井上雄彦のマンガはその傾向が強い気がする。

長くなってきたな…。

もうひとつ。
キャラクタ−にシンクロするという事について
一人で「少女マンガ」月間をもうけてます。
オススメの少女マンガがあれば教えて下さい。
ちなみにいま読んでみたいのはハチクロとノダメ。

では続きはまた。

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