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意味の位相がずれる瞬間

川上未映子さんの対談本がおもしろい。
生きて行く上での違和感を執拗に追いかけている印象。
そのなかの言葉にピンと来たのでメモを。

同じ文字を繰り返し書いていると
意味を離れて奇妙な形の図形に見える瞬間があって
それがたまらなく快感なのだとか。

それって分かる!と思わずうなづいてしまう。
この感じ、誰しも経験したことがあるんじゃないだろうか。
快感まではいかなくとも文字が意味を失ってしまう瞬間って
何か異次元に迷い込んだような不思議な気持ちになる。


そしてこの文章に自分が触発されたのは
平面上にかかれた図面とそれが立体になった時のギャップについて
何かしら感じる不思議な気持ちが文字のそれと似ているからだろうか。

紙の構造体を作るために図面をひく、というのが常識的な解釈であり
実際に自分も仕事では箱を作るために図面をひいている。
そこでは箱と図面の関係は主従関係に近い。
図面をひく行為は三次元の用途や価値を
二次元に定着させるための抽象化であるとも言える。

ところがあまりに日常的に三次元と二次元を行ったり来たりしていると
いつの間にか図面が構造という意味を失ってしまう瞬間がある。
立体を表現しているはずの図面がただの絵に見えてくる。
その時々で人の顔や動物などの具体性を持つ場合もあれば
迷路や幾何学模様など、記号的に見える場合もある。

そしてそがれ繰り返されるうちに自分の中で
構造と図面の関係が「イコール」でなくなってきてしまったようで。
単に三次元を表現するための二次元ではなく
何かしらの見えない関係性がそこに介在しているように感じている自分を
最近になって発見したのである。

楽譜をかく仕事をしていた友人がかつて
「美しい楽曲は楽譜になっても美しさを持っている」と言ったことを思い出す。
あるい構造と図面もそれと同じ関係を持っているのかもしれない。
しかしそれは単に音が聞こえない人でもきれいな楽譜がかければ作曲ができる
というのとは違う。
それでは主従を逆転したに過ぎない。

主従とは違う不思議さを持ち合わせた関係性。
イコールでありながらただのイコールではないような。
そんな何かしらを自分は確かに感じる。

あるいはそれは宇宙の真理かもしれない。
あるいは自分が狂気を発症したのかもしれない。

結果はどうであれ
そこを追求していくことが自分にとって喫緊の課題であり
自分が外に向けて発信する手がかりになると確信している。
それをぜひ見て欲しいと思う。
なんとかかたちにせねば。



そういえば
川上未映子さん写ったポスターに惹かれて見た
太宰治原作の映画『パンドラの箱』も
自分に大切なものをもたらしたんだっけ。

そういう縁なのかもしれない。

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