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何もしないをしてきた

最近、電車に乗るのがしんどく思えてきた。
見知らぬ人と密着することや肩がぶつかること。
自分の足の真上に体重が乗らないで立つこと。
ゲーム機のボタンを押すカタカタカタカタカタカタって音。
これは感度が上がっている証拠かな。

とそんなことを思っていたら
「危機回避するためのセンサー感度を上げるには
低刺激な環境で過ごすしかない」という内田樹さんの文章に出会った。

刺激が過多になると人間はセンサーの感度を落とさざるをえない。
感度を上げると満員電車は不快以外の何ものでもない。
満員電車に乗っていて不快を感じない場合には
危機センサーの感度が極度に落ちていると考えていい。

満員電車が嫌になったのは
自分にモノを作るべき時期が近づいているからかもしれない。
感度を上げなければできないことだから。


そしてついでに
低刺激、ということについての文章を読んでふと
学生時代のことを思い出した。

飲んでいた時に友人のしてくれた
「高校時代に大学生と喧嘩をした」話や
「中学時代から酒をのんでいた」話や
「ロックバンドを組んでトンガっていた」話や
「授業を抜け出して遊びに行っていた」話を聞いて
自分はそういった経験をしてきた人に対してコンプレックスがあるのだと
ふと気づいた瞬間があった。
美術大学にいながら自分のやりたいことも曖昧で
作ることにも夢中になれずにいたせいで
「溢れ出す若さとエネルギー」的なものに憧れがあったのだと思う。

自分はどちらかというと刺激の少ない育ち方をしてきたようで
喧嘩らしい喧嘩もほとんどしてこなかったし
酒は今もほとんど飲まないし
音楽にもこだわりがないし
学校の授業はほとんど皆勤に近かった。

しかし
「いろんな経験をしてきた刺激的な育ち方」へのコンプレックスに対して
自分の見つけた向き合い方は
「自分は何もしないをしてきた」という屁理屈だった。
「何にもしてないをしている」とはご存知クマのプーさんの台詞。

今考えればそれでよかったような気がしている。
そのコンプレックスに向き合えずに
飲めない酒を飲んでみたり
退廃的な作品を作ってみたり
そんな可能性もあるいはあったかもしれない。

低刺激で育つことの良い点は
ひとつには危機センサーの感度があがること。

そしてもうひとつには知的持久力がつくこと。
これについては話すと長くなるので次の機会に。



電車通勤もそろそろ限界かな。
こっからさらに感度を上げていくつもりなので。


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